米がきた

日曜の夜、待ちかねていた「米」がきた。
いつも米は実家(米つくってます)からわけてもらっている。
こっちの方に来るついでに届けてくれるよう頼んでいました。
21時半、「ピンポーン」と鳴り、米袋を担いだ弟と、ダンボールを抱えたその奥さんがやってきた。

     ドサリッ

まるで「かさこじぞう」かサンタクロースのような登場です。
b0132950_14183438.jpg

ダンボールにはりんごが詰まっていました。(この季節はあちこちからりんごのいただきものがあるそうで、実家では食べきれないくらいなのです。うちにもおすそわけがくるわけです。)

米は玄米でもらい、10キロぶんずつ自分たちで精米して食べています。
朝夕食べるのでどんどん減ります・・・・
実家の父には「どんどん食えな」といつも言われます。
米をつくっている父からすると、「米余り」などという言葉は存在してはならない単語です。

父が田んぼで働く姿を見て育ってきた私。
田んぼの手伝いもよくさせられました。
わらを運んだり、束にしたり、田植えから稲刈りまで、家族でやるいろいろな作業があります。
子どもなりに一生懸命仕事をし、いやだなあと思う時ももちろんありましたけど、役に立てたという思いから得られる充実感は大きなものでした。
「いっぷくするべ」と、腰掛けて皆でお茶をしたことは、本当によい思い出となって残っています。

大人になって夢中で仕事をしている時、大変さに逃げ出したくなった時、いつも思い出すのが、父の言葉でした。

「どうだ。仕事っておもしろいべ。」

子どもの私が「ウン!」と言ったかどうかは・・・おそらく言わなかったと思いますが・・・。

 皆で力を合わせて作業することのおもしろさ、
 がんばったことが形になる達成感、
 もういやだなあ、と思う瞬間を乗り越えた自信、
 役に立てたという思い・・・・そういうことだったのかなあと思います。

一緒に体を動かしながら、その一言で子どもの私に大きなものを伝えてくれた父に感謝しています。(なかなか素直に伝えられませんが・・・)

食べ物を作るのは大変な仕事です。
均一に大量生産しようとすると、どこかに無理がかかる。
天候に左右されることはいうまでもありません。
そういう労苦によって私たちの食卓が支えられていることを、時々でも思い出すことが、今の時代だからこそ必要なのだろうと思います。

言うは易し、ですが・・・・
とりあえず私にできることは、おいしいご飯を心をこめてつくること、食材を無駄なく賢く使い切る、ということでしょうか。
通勤しながらごはん作りをしていた頃にくらべると、まあまあその辺は上達してきたと思います。
これを通勤しながらこなせるようになれたらと思うのですが。
まだまだ精進の道のり。


月曜の夜はこのご飯を、豚大根鍋でいただきました。
精米したてはふっくらとおいしく炊けるように思います。
b0132950_1420324.jpg

[PR]
by harokijs | 2008-10-14 14:16 | ごはん